サッカーファンなら誰もが知る柿谷曜一朗。
2013年にセレッソ大阪で21得点を記録し、その年の日本代表として東アジアカップでも得点王に輝いた天才ストライカーです。
16歳でプロデビューを果たし、FCバーゼルでの海外挑戦、そして日本代表として2014年ワールドカップブラジル大会への出場と、輝かしいキャリアを築いてきました。
現在は徳島ヴォルティスでプレーし、34歳となった今でもその技術は衰えを知りません。
天才的な個人技とチームプレーを両立させた彼のサッカー人生には、多くの感動と教訓が詰まっています。
本記事では、そんな柿谷曜一朗の全てをお伝えしていきます!
引用元:https://www.instagram.com/p/C1_OXmpv66N/
柿谷曜一朗|今現在の活躍
柿谷曜一朗は、現在J2の徳島ヴォルティスで活躍しています。
2023年から徳島ヴォルティスに加入し、34歳という年齢にもかかわらず、その技術力と経験を活かしたプレーで、チームの攻撃の要として重要な役割を果たしています。
2023年シーズンには37試合に出場し、7得点を挙げるなど、安定したパフォーマンスを見せました。
特にトップ下やサイドの攻撃的ポジションで起用され、若手選手たちへの良き指導者としての一面も見せています。
また、ベニャート・ラバイン監督からは、その守備力と戦術理解度の高さを評価されており、攻守にわたる貢献度の高さが光っています。
いつの間にか、あの天才ストライカーが、チームを支える大黒柱になっているんですね。
若手の頃とは違った魅力が、今の柿谷選手にはあるように感じます。
ただ2024年シーズンは、なんと29試合で合計1414分の出場機会がありましたがゼロゴールという結果になってしまいました。
2024年、徳島ヴォルティスも契約更新なしとのことになってます。
柿谷曜一朗|今までの経歴と所属チーム・年俸
幼少期〜プロになるまで
柿谷曜一朗は、1990年1月3日に大阪府大阪市で生まれました。
4歳という幼い頃から、セレッソ大阪のスクールに通い始め、そこでのエピソードが彼のサッカー人生の原点となっています。
家族旅行中に偶然、セレッソ大阪の選手バスと並走することになり、両親から「すごい選手が乗っているんだよ」と教えられた柿谷は、興奮して車の窓を開け、バスに向かって手を振りました。
すると、ゴールキーパーのジルマール選手が手を振り返してくれたことがきっかけで、セレッソ大阪への入団を決意したといいます。
プロ選手の何気ない一つの行動が、こんなにも子供の人生を変えてしまうものなんですね。
その後、セレッソ大阪の下部組織で着実にキャリアを積み、小学校の卒業文集には「16歳でプロになる」と記していました。
この夢は見事に実現し、2006年、クラブ史上最年少の16歳でトップチームとプロ契約を結びました。追手門学院大手前高等学校在学中での快挙でした。
こうして見ると、柿谷選手の人生には「夢を持つことの大切さ」が詰まっていますよね。
4歳で抱いた夢を16歳で実現させた。しかも、その夢をはっきりと文集に書き記していたなんて。
「有言実行」している姿はとてもかっこいいなと思います。
所属チーム一覧
年度 | 所属チーム | 年俸 |
2006-2009年前半 | セレッソ大阪 | 380万円からスタート(詳細不明) |
2009年後半-2011年 | 徳島ヴォルティス | 不明 |
2012年 | セレッソ大阪 | 1000万円 |
2013年 | セレッソ大阪 | 1500万円 |
2014年 | セレッソ大阪 | 5000万円 |
2014年7月-2015年 | FCバーゼル | (推定1億5500万円以上) |
2016年 | セレッソ大阪 | 不明 |
2017年 | セレッソ大阪 | 7000万円 |
2018-2019年 | セレッソ大阪 | 7200万円 |
2020年 | セレッソ大阪 | 7000万円 |
2021-2022年 | 名古屋グランパス | 1億円 |
2023-2024年 | 徳島ヴォルティス | 不明 |
柿谷曜一朗の選手としてのキャリアは、セレッソ大阪からのスタート。
2006年から2009年の半ばあたりまで在籍し、徳島ヴォルティスに一度は移籍したものの、2012年には再びセレッソ大阪に戻ってプレイしています。
年俸は380万円からスタートして、2014年には5000万円まで上昇しています。
その後、FCバーゼルへ移籍し、正確な情報は出ていませんが推定年俸は1億5500万円に跳ね上がっていたと考えられます。
2016年にセレッソ大阪に復帰後は7000万円前後で推移し、2021年からの名古屋グランパス時代には1億円を記録。2023年からは徳島ヴォルティスに移籍し、現在に至ります。
柿谷曜一朗|年俸のまとめと今の年収や収入源
柿谷曜一朗の選手としてのキャリアにおける最高年俸は、FCバーゼル時代の年収に関しては不明ではありますが、推定1億5500万円以上だったと言われています。
すでに事実としてある情報の中では、名古屋グランパスでの1億円が最高年俸となっています。
これは、J1リーグの平均年俸である約3200万円を大きく上回る金額でした。正直、数字を見ただけで目が点になりますね。
一般人が一生かけて稼ぐ金額を1年で稼いでしまうんだから、サッカー選手の年収って本当に別次元の世界だと感じます。
現在の徳島ヴォルティスでの年俸は公表されていませんが、実績のある選手として相応の待遇を受けているのかなと推測されます。
また、サッカー選手としての年俸以外にも、2014年には自身が監修したサッカー技術に関する書籍を出版するなど、副収入源も確保しています。
人気選手としての知名度を活かした収入も加わり、安定した収入を得ていると考えられます。
若い頃から着実にキャリアを積み重ね、収入面でも安定を築いていく。これぞプロフェッショナルの模範と言えるのではないでしょうか。
柿谷曜一朗|全盛期〜獲得タイトル
柿谷曜一朗の主な獲得タイトルは、
- AFC U-17選手権2006のMVP
- AFC優秀ユース選手(2006年、2007年)
- Jリーグ優秀選手賞(2012年、2013年)
- Jリーグ月間MVP(2013年5月)
などがあります。
また、史上初のJリーグ最優秀ゴール賞の複数回受賞(2013年、2021年)を達成し、Jリーグベストイレブン(2013年)にも選出されています。
最も活躍していた時代
2013年、柿谷曜一朗は自身のキャリアで最も輝かしい1年を過ごしました。
リーグ戦21得点、東アジアカップ得点王、そして最優秀ゴール賞と、まさに全盛期と呼ぶにふさわしい活躍。
しかし、この成功の裏には、挫折からの壮大な復活劇がありました。
セレッソ大阪での若き日々、柿谷は同期の香川真司とともに注目の的でした。
当初は柿谷の評価の方が高く、世界からも期待を集めていましたが、2009年には素行に問題が出始めて練習への遅刻を繰り返すようになり、クルピ監督にプロ意識の欠如を指摘されます。
次第に香川が頭角を現していく中で、彼は心が折れてしまい、2009年には素行不良により、徳島ヴォルティスへの期限付き移籍を余儀なくされました。
ライバルがメキメキと成長していく中で色々と加藤はあったかもしれないけど、当たり前のことが当たり前にできないようじゃ、それは信用無くしますよね。
クルピ監督が柿谷選手に対して厳しい決断をしたのも納得がいきます。
しかし、この挫折が彼を大きく成長させることになります。
徳島での修行、特に当時のキャプテン倉貫一毅の背中を見て、プロフェッショナルとしての自覚を取り戻していきました。
その結果、2013年、背番号8を継承した柿谷は、リーグ戦全34試合に出場し、森島寛晃の記録を更新する21得点を達成。
さらに東アジアカップでは日本の初優勝に貢献し、第33節鹿島アントラーズ戦では芸術的なゴールで最優秀ゴール賞も受賞。
かつてのライバル香川も認める、完全なる復活を遂げたのでした。
人生は本当に何が起こるか分からなくて、予測できない展開の中にこそ、かけがえのない出会いが眠っているのかもしれません!
さらに栄光と挫折エピソード
柿谷曜一朗の選手生活には、栄光と挫折が交錯しています。
2014年にはFIFAワールドカップブラジル大会の日本代表に選出され、世界最大の舞台を経験。
その後、欧州挑戦としてFCバーゼルへ移籍しましたが、出場機会に恵まれず、2シーズンで日本に戻ることとなりました。
しかし、セレッソ大阪への復帰後は、2017年にルヴァン杯優勝と天皇杯優勝に貢献。
さらに、名古屋グランパスでは2021年にルヴァン杯優勝を果たし、同年には30代でありながら絢爛なオーバーヘッドシュートを決めて、2度目の最優秀ゴール賞を受賞しました。
柿谷選手の30代でのオーバーヘッドは、何度見ても興奮する瞬間ですね!
まるでアニメのワンシーンを見ているかのような気になり、改めて「サッカーって見てて面白い!」と思わせてくれる瞬間でした!
ぜひ気になる方は、こちらの動画を見てみてください。
柿谷曜一朗|結婚〜子供・スキャンダル
柿谷曜一朗は2016年12月8日に人気タレントの丸高愛実さんと結婚しました。
2人の出会いは、柿谷がFCバーゼルに所属していた頃にさかのぼります。
セレッソ大阪への復帰後、同棲を始めた2人の間には、思わず笑ってしまうようなエピソードがありました。
ある日、柿谷のスマートフォンケースから高級ブランド「HARRY WINSTON」の名刺が見つかったんです。
実は婚約指輪のサプライズを計画していた柿谷でしたが、丸高さんは一瞬別の疑いを持ってしまい、ちょっとした騒動に。
ピッチ上では冷静な判断で相手を翻弄する柿谷も、こと恋愛となると案外ドジな一面を見せるんですね。
結婚後、2018年11月に第一子となる長女が誕生し、2021年6月には次女も誕生。
2024年4月には第三子の妊娠も発表され、家族の輪は着実に広がっています。
家庭での柿谷には、ちょっと面白い習慣があって。
それが「全ての料理に和風ドレッシングをかける」という独特な食習慣なんです。
納豆やパスタにかけるのはまだ理解できる範囲ですが、さすがにチャーハンにまでかけ始めた時は、丸高さんも「こいつヤバイな…」と思わず引いてしまったそう。
私も流石に理解できないかも・・・。
そんな柿谷の食生活も受け入れながら、丸高さんはアスリートフードマイスターの資格を取得して、選手としての柿谷をしっかりサポート。
ゴール前での鋭い動きを見せる柿谷も、家では和風ドレッシング愛好家の一面を見せる。そのギャップが、彼の人間味を感じさせる部分かもしれません。
まとめ
最後に今までのまとめをお話しします。
柿谷曜一朗は、セレッソ大阪の下部組織から頭角を現し、16歳でプロデビューを果たした日本サッカー界の逸材です。
2013年には21得点を挙げて日本代表にも選出され、東アジアカップでは得点王に輝くなど、輝かしい実績を残してきました。
海外挑戦としてFCバーゼルでプレーした経験も持ち、その後も名古屋グランパスでルヴァン杯優勝に貢献するなど、安定したキャリアを築いています。
現在は徳島ヴォルティスで活躍中で、34歳となった今でもその技術力は健在です。
私生活では丸高愛実との間に2人の子供がおり、第三子も授かるなど、充実した家庭生活を送っています。
天才的なプレースタイルと誠実な人柄で多くのファンを魅了してきた柿谷選手。
現在、34歳とサッカー選手としては引退も考えられる年齢です。
2025年、どこかのチームで所属するのか・・引退なのか・・
まだわからないですが
まだまだ家庭のことを思うと、稼がなければと考えているのかもしれません。
進退が気になりますね!
ご覧いただきありがとうございました。